2015年12月1日火曜日
依田高典『行動経済学−感情に揺れる経済学』その3
依田高典『行動経済学−感情に揺れる経済学』その3
ヒューリスティックとバイアス。
認知のシステムには、骨折りで、慎重で、意識的なものと、直感的で自動的で、無意識的なものがある。
人は、認知や情報処理などには限界がある。また確かめるために時間のかかる認識システムを全てに採用するのは無理なので、私たちは物事を判断するときに、短絡や情報の縮減を行う。人間は想起しやすさによって流されることがあるというのがバイアスというものだ。ヒューリスティックとは、近道とかの意味を含んでいる。(それは必ずしも悪いものとしてだけでなく、手段としては有効活用できる)
リンダ問題というのがある。
質問
リンダは31歳。独身、話し好きで、社交的である。大学時代は哲学を学び、差別や社会的問題について深い関心を持ち、反核運動に参加していた。
さて、右の文から想起されるリンダとして、一番もっともらしいのはどれだろうか。
⚫︎リンダはフェミニスト運動家である。
⚫︎リンダは銀行窓口係である。
⚫︎リンダはフェミニスト運動家で銀行窓口係でもある。
結果
カナダの大学生への調査
フェミニスト運動家>フェミニスト運動家で銀行窓口係>銀行窓口係
この結果は、人間の判断がステレオタイプによっているということである。
純粋な確率の問題としてみれば、フェミニスト運動家よりも銀行窓口係の人数の方が多いので、銀行窓口係>フェミニスト運動家>フェミニスト運動家で銀行窓口係となるからだ。
フェミニスト運動家というよりも、フェミニスト運動家で銀行窓口係という、さらに確率的に低いものが、銀行窓口係よりももっともらしいと判断する人が多いことがポイント。
私たちは、リンダについてほとんど何も知らないのに、最初の文章が刷り込みとして入り、確率の問題として、考えることはしないと。
依田は3つのヒューリスティックをあげている。
一、代表性のヒューリスティック
論理や確率に従わず、サンプルAとサンプルBにどのくらい似ているかとか、どのくらい典型的であるかという基準への依拠
二、想起しやすさ(アヘイラビリティ)ヒューリスティック
心に思い浮かびやすい事象に過大な評価を与えてしまうこと。
三、係累(アンカー)ヒューリスティック
人間が最終的な解答を得る過程で、初期情報に依存し、出発点から目標点の間に十分な調査ができない。(簡単にいうと一貫性を保持しようとしてしまう)
さて、しかし、ネガティヴに働く面もあるヒューリスティックだが、その認知の合理性が客観的データよりも劣っているとか、確率論的なデータが客観的なデータであり、バイアスや恣意性をとりのぞけるといえるのかは、また別問題でもあることを注意しよう。反省性を持つための一つの手段である。
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