http://dentsu-ho.com/articles/4082
僕が挑戦しているのは、「コンテンツがない芸術は存在しうるか?」という問いです。アート業界の人には「コンテンツがないと批評性がない、だからアートとはいえない」と、ずっと言われてきました。これはマルセル・デュシャンが“レディーメード”の考えを発表した時に「アートではない」と言われたのと極めて似た状況だと思っています。つまり、今後“発明行為そのものが芸術だ”という一派が存在していっておかしくないはずなんです。
今では、僕たちはスマートフォンや電子タブレットを手にし、無線は十分に発達し、マルチメディアはいったん成熟しました。色と光に関しては、予算と時間があれば、人間が想像するたいていのことはレンダリングできると分かった。だから、そろそろ違うフェーズに踏み出さなければいけないとみんなが気づき始め行動に移し始めてきたのが、2016年という時代性だと思います。
僕が今やっているこれまでの映像装置を超えていく方法の一つは、より強度を高くすること、あるいは解像度を高くすることです。例えば、先ほど紹介したプラズマで出てくる妖精は、スマホが発するのと本質的には 同じぐらいの光の量でできますが、瞬間的にそれを集めることで、触れて光るタッチパネルのようなものを空中に作ることができます。超音波を集めれば、物を浮かせることもできます。
音、光、電気、波など、あらゆるものを扱っていますが、全てフーリエ変換(ある任意の時間信号を複数の周波数成分に分解して表現する解析法)を使って計算しています。触れる光を作ることも、ある人にしか聞こえない音を作るのも、計算上は全く同じです。どうやったら対象の場所に波を合成できるかということが、僕の博士時代の専門です。これをホログラムといいます。ちなみに「ホログラム警察」もしていますよ。
「魔法の世紀」落合陽一インタビュー:「社会の中にファンタジーを実装する」
http://www.gizmodo.jp/2015/12/post_1212121275.html
落合陽一 魔法の世紀 Kindle版
これまで現実は逃れられないものだったから問われてきたけど、もう現実は主題にはならなくなるんだろうなと思います。小さな物語が混じり合ったファンタジーの時代なんだと思います。
落合陽一 これからの世界をつくる仲間たちへ Kindle版
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