基礎部分がなければ、関心の幅が狭くなる
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ここで重要なのは、「少し知っていること」が好奇心に火をつけやすいということ。好奇心は、何も知らない事柄に対して湧いてくるかのようなイメージを持たれがちだが、実際には、人はまったく知らないことには興味を持ちにくい。「何を知らないか」すら分からない状態では、疑問を膨らませることも難しくなる。
もちろん、すでに知り尽くしていると思っている事柄に対しても、知りたいという欲求は湧きづらい。好奇心が最も発揮されるのは、「知りすぎ」と「知らなすぎ」の間なのだ。
近年、「子どもの自主性に任せる」教育のあり方が広まってきているが、著者はこのような「進歩的教育」に対して疑問を投げかけている。こういった、「どこまで教えるべきなのか」という話は個人差のある話なので、白黒つけようとすることにあまり意味はないだろう。だが、「自由」と「好奇心」という言葉を安易に結び付けてしまわないようにしたいとは思った。強制されてやる勉強も、後に面白さに気づくための知識的な土台を築くことで、自力では出会わなかったであろう興味にたどり着くことに役立っているかもしれないのだ。
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